三浦綾子年譜

三浦綾子年譜その1(誕生から作家デビュー前まで)

年譜

誕生から作家デビュー以前 氷点での作家デビュー以後

1922年(大正11年) 0歳

4月25日 綾子、北海道上川郡旭川区四条通十六丁目左二号(北海道旭川市4条通16丁目左2号)で父堀田鉄治、母キサの次女(第5子)として誕生。 この時の家族:父鉄治(33歳)、母キサ(29歳)、長男道夫(12歳)、次男菊夫(10歳)、三男登志夫(7歳)、長女百合子(4歳)、鉄治の末妹スエ(13歳)の七人家族であった。

1923年(大正12年) 1歳

1924年(大正13年) 2歳

11月9日 弟の四男鉄夫誕生。

1925年(大正14年) 3歳

1926年(大正15年) (昭和元年) 4歳

1927年(昭和2年) 5歳

3月27日 弟の五男昭夫誕生。

1928年(昭和3年) 6歳

3月 堀田家市内9条通12丁目右7号に転居。

1929年(昭和4年) 7歳

4月 大成尋常高等小学校入学。渡辺ミサヲ先生に6年間学ぶ。

6月22日 妹の三女陽子誕生。

1930年(昭和5年) 8歳

春 クリスチャンの一家前川家が隣に引越してくる。のちに綾子に大きな影響を与える前川正と知り合った。

クリスマスの夜、正の妹・前川美喜子に誘われて初めて教会へ行く。

1931年(昭和6年) 9歳

3月 前川一家引越す。

綾子三年生に進級。級長に選ばれる。

級友・石原寿みに誘われてこの夏から一年間日曜学校に通う。

級友から「本きちがい」の異名をとるほどの文学少女だった。

1932年(昭和7年) 10歳

春 禅寺の日曜学校に通う。

夏休みに父母の故郷苫前に行き、初めて海を見る。

9条通12丁目左3号に、あらためて移転。

長兄の家業、早朝牛乳配達の手伝い始める。(その後7年間続ける。)

1933年(昭和8年) 11歳

2月25日 弟の六男治夫誕生。

5年生の新学期、無投票で級長に選ばれる。

はじめての小説「ほととぎす泣く頃」を書く。

1934年(昭和9年) 12歳

夏はドッジボールの練習に励む。

学芸会の劇「舌切雀」に心奪われる。

12月 次兄菊夫が結婚。

1935年(昭和10年) 13歳

4月 旭川市立高等女学校へ推薦入学。

6月24日 妹・陽子結核で死亡。(6歳。のち「氷点」のヒロインにその名前が付けられる)

1936年(昭和11年) 14歳

1月3日 弟の七男秀夫誕生

作文「井伊大老について」を書き、校内外で評判となる。

1937年(昭和12年) 15歳

リュウマチと称し3ヶ月間休学。読書に専念する。

1938年(昭和13年) 16歳

陸軍病院へ傷病兵を慰問。 その中の一人と初恋。

1939年(昭和14年) 17歳

3月 旭川市立高等女学校卒業。

4月 空知郡歌志内公立神威尋常高等小学校に代用教員として赴任。

1940年(昭和15年) 18歳

代用教員から訓導(正規教員)となる。

1941年(昭和16年) 19歳

4月 神威尋常高等小学校文珠分教場へ転任。

9月 旭川市立啓明国民学校へ転勤。

1942年(昭和17年) 20歳

4月 一年生の担任となる

夏 札幌の高等技芸学校で手芸の講習を受ける。その際にのちに婚約者となる西中一郎と知り合う。

1943年(昭和18年) 21歳

1944年(昭和19年) 22歳

夏、愛国飛行場に女子青年団の指導員として動員される。

1945年(昭和20年) 23歳

1946年(昭和21年) 24歳

3月 啓明小学校を退職。

4月 西中一郎と婚約

6月 肺結核を発病し、市内10条11丁目結核療養所白雲荘に入る。

11月 炊事や掃除もできないほど衰弱したため自宅へ帰る。

1947年(昭和22年) 25歳

1948年(昭和23年) 26歳

8月 再度療養所に入る。療養所で結核療養者の会「同生会」の書記を務める。

12月27日 再入所。結核で休学中の北大医学部学生、前川正と再会。その後、千通にも及ぶ書簡の往復が始まる。

1949年(昭和24年) 27歳

4月 病状は好転しなかったが、退院する。

6月 斜里に住む西中一郎を訊ね、婚約を解消、虚無と自棄の末に自殺未遂。

1950年(昭和25年) 28歳

6月 前川正と共に北海道大学附属病院で受診。

1951年(昭和26年) 29歳

10月 市内旭川赤十字病院に入院。

クリスマスに日本キリスト教会旭川教会牧師を病院に招く。

1952年(昭和27年) 30歳

2月 脊髄カリエスの疑いが強まり、札幌医科大学附属病院に入院。

3月 前川正の葉書を受けた日本基督教団北一条教会員西村久蔵の見舞いを受ける。

5月 脊椎カリエスと診断される。

7月5日 西村久蔵の導きで札幌北一条教会の小野村林蔵牧師より病床受洗。

1953年(昭和28年) 31歳

7月12日 西村久蔵急逝。

10月 札幌医科大学附属病院をギブスベッドのまま退院。自宅療養に入る。

11月16日 前川正が綾子を訪問(最後の訪問)。その後まもなく前川正病状悪化。

1954年(昭和29年) 32歳

4月25日 前川正からの便りが届く。これが最後の便りになった。

5月2日 前川正死去。享年35。この後、あまりの悲しみに一年間ほとんど人に会わずに過ごす。

1955年(昭和30年) 33歳

6月18日 キリスト教誌「いちじく」の誌友、三浦光世初めて綾子を訪ねる。以後一週間に一度、光世の見舞いを受ける。

1956年(昭和31年) 34歳

病状、次第に快方に向かう。

6月 五十嵐健治が初めて綾子を見舞う。

7月 三浦光世より結婚の申し込みを受ける。

1957年(昭和32年) 35歳

起座歩行可能となる。

1958年(昭和33年) 36歳

7月 幻覚症状のため北海道大学附属病院に入院。二ヶ月後、退院(異常なし、脊髄カリエス完治確認)。

1959年(昭和34年) 37歳

1月25日 日本基督教団旭川六条教会で三浦光世と婚約式。聖書を交換する。

5月24日 日本基督教団旭川六条教会中嶋正昭牧師司式により結婚式。以後三浦姓となる。新居は市内9条14丁目左9号。

9月30~10月1日、層雲峡へ新婚旅行。

10月 腎臓結核の既往症のあった光世が発熱。翌年6月まで休職療養。

1960年(昭和35年) 38歳

9月 雑貨店を兼ねた自宅の新築を計画。(この時建築を請け負ったのが小説”岩に立つ”の主人公のモデルになった鈴木新吉である)

10月 光世の故郷滝ノ上町訪問

12月22日 10人の子どもを招き、第1回子どもクリスマスを自宅で開く

1961年(昭和36年) 39歳

1月 「主婦の友」募集の第一回「婦人の書いた実話」にペンネーム・林田律子で応募。作品は「太陽は再び没せず」

3月 旭川六条教会牧師館に留守番として入る。

6月1日 光世盲腸炎にて入院。

7月15日 退院。市内東町3丁目(現・豊岡2条4丁目)の新居に移る。

8月1日 雑貨店・三浦商店を開業。

12月10日 主婦の友社からの「太陽は再び没せず」の入選通知。

1962年(昭和37年) 40歳

12月中旬発行の「主婦の友」新年号に”愛の記録”入選作「太陽は再び没せず」が掲載される。

誕生から作家デビュー以前 氷点での作家デビュー以後

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最終更新日: 2001年12月12日

2015-03-19 | Posted in 三浦綾子年譜No Comments » 

 

三浦綾子年譜その2(氷点での作家デビュー以後)

年譜

誕生から作家デビュー以前 氷点での作家デビュー以後

1963年(昭和38年) 41歳

1月1日 朝日新聞社が大阪本社創刊85年・東京本社75周年記念の一千万円懸賞小説公募を発表。

12月31日 午前2時小説「氷点」を完成させる。

1964年(昭和39年) 42歳

6月19日 朝日新聞社が応募総数731編の中から第一次候補作品25編を決定発表。氷点もその中に入る。

6月24日 朝日新聞本社からデスクの門馬義久記者が綾子を訪問。

6月30日第2次選考を通過

7月6日 一位入選の内定通知が届く。

7月10日 朝日新聞紙上に氷点の入選発表。

7月21日 朝日新聞社東京本社講堂にて授賞式。

8月 氷点連載に備え、雑貨店閉店。

7月~8月 全国各地で記念公演。東京(7/21)・大阪(7/24)・名古屋(7/27)・北九州(8/3)・旭川(8/6)・札幌(8/7)で受賞記念講演。

8月20日 旭川市主催の受賞祝賀会。

12月9日 朝日新聞朝刊に「氷点」連載開始(1965年11月14日まで)。

1965年(昭和40年) 43歳

5月22日 キリスト教伝道講演会。「人間の行きつくところ」札幌市真駒内明星幼稚園

5月23日 キリスト教伝道講演会。「幸福とは」札幌市真駒内明星幼稚園

6月4日 講演「キリスト教と文学」北海道大学。

6月17日 旭川市立図書館・朝日新聞社主催の「氷点」読書座談会、三愛会館。

7月12日 主婦の友社主催”お母さまのための講演会”「愛としあわせ」苫小牧市王子娯楽場。

7月13日 主婦の友社主催”お母さまのための講演会”「愛としあわせ」旭川市公会堂。

7月 「主婦の友」8月号から初の月刊小説「ひつじが丘」を連載開始(66年12月号まで)。

9月16日 旭川市文化賞受賞。

9月 「オール讀物」10月号(文藝春秋社)に初の短編「井戸」を発表。

11月 「氷点」朝日新聞社より刊行。(年末までに71万部)

11月中旬 関西各地で講演。神戸(国際会館)、京都(同志社大学)、大阪(岡本教会他)。

12月 講演。「キリスト教入信等の自己の軌跡について」札幌市月寒(つきさむ)教会。「愛と人生について」札幌市月寒教会、札幌YMCA十周年記念。

1966年(昭和41年)44歳

3月18日 講演会、品川キリスト教会

3月19日 講演会、「『氷点』の人物について」朝日新聞社。

3月26日 「『氷点』をめぐる女の生き方」福岡市電気ホール。

4月 小説「塩狩峠」を日本基督教団発行の「信徒の友」に連載開始。(68年10月号まで)

5月 随筆「妻の茶の間から」を「週刊女性自身」(光文社)五月二十三日号から連載開始(七月十一日号まで)。のちに随筆集『愛すること 信ずること』講談社刊に収録。

8月28日、29日 講演会「人生雑感」北海道豊富町豊富中学校。第十一回宗谷婦人大会。

9月30日 講演会「人生について」山形県民会館。

10月1日 講演会「信仰雑感」山形市六日町教会。

12月1日 光世、旭川営林局を退職。綾子のマネージャーに専念する。

12月10日 小説『ひつじが丘』刊行(主婦の友社)。

12月 「主婦の友」67年新年号から自伝『道ありき』を連載開始(68年12月号まで)。

1967年(昭和42年) 45歳

1月9日 「ひつじが丘」がドラマ化され、TBS、HBCのテレビドラマ「愛の自画像」として放送開始。

3月 自伝『草のうた』を「女学生の友」(小学館)に連載開始(68年3月号まで)。

4月24日 小説『積木の箱』を朝日新聞夕刊に連載開始(69年5月18日まで)。

10月 講演会。3日「幸福について」福島市労働福祉会館。4日「愛について」川俣町貿易会館。

10月30日 随筆集『愛すること 信ずること-夫婦の幸福のために』刊行(講談社)。

1968年(昭和43年) 46歳

4月1日 NET(現テレビ朝日)制作「積木の箱」放送開始(13回連続)。

5月25日 小説『積木の箱』刊行(朝日新聞社)。

6月3日 講演「愛するということ」主婦の友社。6日「なくてはならぬもの」宮古市。25日 札幌光塩大学。

7月7日 講演「ふたつの愛」室蘭市知利別教会。

7月21日 講演「親のありかた」北海道上川町。

7月25日 講演「文学と宗教」旭川市北日本大学。

7月31日 札幌市にて講演。

8月8日 定山渓にて講演。

8月18日 砂川市にて講演。

8月19日 帯広市にて講演。

8月20日 音更町にて講演。

8月28,29日 札幌市にて講演。

8月30日 講演「私の小説の中から」苫前町・留萌地方教育研究大会。

1969年(昭和44年) 47歳

4月30日 父鉄治死去。享年79。

9月14日 「塩狩峠」の主人公のモデル長野政雄遺徳顕彰碑除幕式(上川郡和寒町塩狩)出席。

1970年(昭和45年) 48歳

喉の調子悪く、前癌状態と診断される。6月 「塩狩峠」の中国語訳版の翻訳書「雁狩嶺」(初の翻訳書)香港で刊行

1971年(昭和46年) 49歳

8月 血小板減少症と診断される。

9月10日 新家屋を旧宅近くに建築し移転。旧宅を、日本福音キリスト教会連合旭川めぐみキリスト教会に献じた。

1972年(昭和47年) 50歳

11月 「細川がラシャ夫人」取材のため大阪・京都・若狭地方を訪れる。

1973年(昭和48年) 51歳

3月13日 映画「塩狩峠」(監督・中村登)北海道ロケ開始。13日から21日まで旭川、塩狩、夕張で撮影

「塩狩峠」新潮社より文庫版刊行。(全作品で初めて)

1974年(昭和49年) 52歳

前年12月15日から11日間公開された映画「塩狩峠」の全国観客動員数は約13万人。ロスアンジェルスでも公開。

1975年(昭和50年) 53歳

7月5日 市内ボランティアグループ「アカシア会」による「音の三浦綾子作品集」完成。旭川盲人センター点字図書館に寄贈。

9月 英訳本「塩狩峠」出版(イギリス海外宣教交友会)。

9月23日 「泥流地帯」取材のため上富良野町十勝岳を訪れる。

1976年(昭和51年) 54歳

5月25日 稚内市において「天北原野」出版記念パーティー出席

9月 心臓発作のためのアメリカ、カナダ講演旅行中止。

1977年(昭和52年) 55歳

4月1日 「海嶺」取材のため東京・香港・マカオへ講演旅行。

4月12日より「海嶺」取材のための愛知県知多半島へ。「千利休とその妻たち」取材のため関東・東京へ(29日間)。

7月16日、「泥流地帯」出版記念会及び祝賀会出席(主催・上富良野町、同文化連盟)。

1978年(昭和53年) 56歳

3月27日 母キサ死去。享年86。

1979年(昭和54年) 57歳

5月17日~22日 「三浦綾子・小熊秀雄展」開催(旭川市第15回春の芸術祭)。主催・同実行委員会、旭川文化団体協議会。

1980年(昭和55年) 58歳

4月末 重症の帯状疱疹にて旭川医科大学附属病院に入院。「海嶺」の連載を約3ヶ月休載。10月末~11月中旬 約1ヶ月静養のため伊豆大島に滞在。

1981年(昭和56年) 59歳

6月 中国の作家・韶華、随筆家・何為の両氏、通訳の陳喜儒氏と共に来訪。

8月 「氷点」の中国語翻訳許可。

11月 初の戯曲「珍版・舌切り雀」を書き下ろす。

12月 旭川キリスト教会連合主催の市民クリスマス(旭川公会堂)で上演

1982年(昭和57年) 60歳

5月17日~6月5日、直腸癌手術のため旭川赤十字病院入院。

1983年(昭和58年) 61歳

5月 朝日新聞社「三浦綾子作品集」全18巻刊行(1984.10完結)

1984年(昭和59年) 62歳

5月7日~6月13日 「ちいろば先生物語」取材のためアメリカ・イタリア・イスラエル・ギリシャ各地を訪れる。途中カリフォルニア大学で7年間懸案の講演の約束を果たす。

5月24日 上富良野町草分神社にて「泥流地帯」文学碑除幕式。

1985年(昭和60年) 63歳

5月~6月 「ちいろば先生物語」の取材で京都・今治・東京を廻る。体調悪化。今治の帰途、大阪で20日間粉ミルク断食療法を受け体調好転。

1986年(昭和61年) 64歳

6月 「夕あり朝あり」取材のための東京・上越・茅ヶ崎の五十嵐健治ゆかりの地を巡る。

1987年(昭和62年) 65歳

1988年(昭和63年) 66歳

一日一万歩を歩き、ミルクを飲む独特の療法で病魔とたたかう。

1989年(昭和64年) (平成元年) 67歳

この年、喉の調子悪く講演をすべて辞退。

5月 結婚30年記念CDアルバム「結婚三十年のある日に」完成。

11月~12月 作家生活二十五周年記念三浦綾子展が、北海道立文学館・北海道新聞社主催により札幌市(11月21日~26日丸善札幌支店)旭川市(12月7日~11日丸井今井デパート)で開催された。

1990年(平成2年) 68歳

1991年(平成3年) 69歳

夏頃より歩き方変調。

1992年(平成4年) 70歳

1月 パーキンソン病と診断を受ける。薬の副作用で幻覚生ず。手の震えあり。

2月28日 NHKテレビ”ほっかいどうスペシャル”「光りあるうちに~三浦綾子、その日々~」放映。

6月26日再放送。

7月 主婦の友社創業七十五周年記念出版「三浦綾子全集」全20巻刊行開始(~1993.4完結)

9月26日 網走管内生田原町「オホーツク文学碑公園」に三浦綾子文学碑を建立。

1993年(平成5年) 71歳

4月9日 宝田学園創業四十五周年・新校舎落成記念「三浦綾子文庫・地の塩」開設。

9月 全集完結記念講演のため5年ぶりに上京。講師・尾崎秀樹・高野斗志美(カザルスホールにて)「神共にいまして」CDとカセットテープ完成。

11月 旧宅解体式。1994年(平成6年)72歳

7月 山田洋次監督来宅。対談。北海道新聞社朝刊「希望明日へ」連載。(8月7日~12日全6回)

8月7日 執筆三十周年記念として「三浦光世兄・三浦綾子姉を囲む集い」を開催(旭川六条教会にて)。

11月11日 北海道新聞社社会文化賞受賞。

11月22~28日 写真展「三浦綾子の世界」主催・北海道新聞社により開催(札幌・三越デパート)。

12月26日 三浦宅にて三十五回目子どもクリスマス会を開く。

1995年(平成7年) 73歳

1月19日~24日 写真展「三浦綾子の世界」主催・北海道新聞社(丸井今井旭川店)開催。

10月10日~15日 「三浦光世・綾子夫妻の思い出箱展」開催(西武デパート旭川店)。

10月17日 「三浦綾子記念文学館」設立発起人会に出席。挨拶をする。(旭川パレスホテルにて)

12月6日 「三浦綾子記念文学館」設立実行委員会に出席。挨拶をする。(旭川パレスホテルにて)

1996年(平成8年) 74歳

3月17日 将棋名人等七冠王、羽生善治氏来宅。

3月 「銃口」NHK、TV化。旭川市内ロケ始まる。

7月 薬の副作用により幻覚が酷く気力体力共に著しく低下。

8月 回復せず、3本の連載休載。

9月3日 「三浦綾子記念文学館」をつくろう札幌の会結成総会。

9月11日 小説「銃口」で第1回井原西鶴賞受賞。自宅にて授賞式。

11月1日 北海道文化賞受賞。1997年(平成9年)75歳

1月27日~6月12日 リハビリのため札幌の柏葉脳神経外科病院に光世と共に入院。

3月21日 旭川東郵便局開局20周年を記念し絵はがき「三浦綾子の世界」3万セット発売。

4月1日 財団法人三浦綾子記念文化財団発足。

7月4日 第1回アジア・キリスト教文学賞受賞。

7月29日~8月27日 発熱後体調思わしくなく、旭川リハビリテーション病院に入院。

8月1日 北海道開発功労賞「受賞」

9月9日授賞式(北海道開拓記念館)出席。

1998年(平成10年) 76歳

6月13日 三浦綾子記念文学館開館

1999年(平成11年) 77歳

4月30日 和寒町100年記念事業「塩狩峠記念館三浦綾子旧宅」完成

7月 発熱のため入院。

9月5日 病状が急変する。

10月12日 午後5時39分。昇天する。

2000年(平成12年)

2001年(平成13年)

誕生から作家デビュー以前 氷点での作家デビュー以後

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最終更新日: 2002年04月29日

2015-03-18 | Posted in 三浦綾子年譜No Comments » 

 

三浦綾子年譜

年譜

三浦綾子さんの生涯を年譜形式でまとめてみました。 誕生から作家デビュー以前と氷点での作家デビュー以後という形で二部構成にしました。

年譜1 誕生から作家デビュー前まで

年譜2 作家デビュー以後

※年譜の作成にあたっては下記を参考にさせていただきました。

三浦綾子著「道ありき」「草のうた」

三浦綾子全集第20巻

三浦綾子小説選集8「銃口 年譜」

最終更新日: 2003年01月05日

2015-03-17 | Posted in 三浦綾子年譜No Comments »