三浦綾子入門
三浦綾子入門 番外編.三浦綾子さん関連番組その1-後編
番外編.三浦綾子さん関連番組その1-後編
1999年12月25日(24日深夜)放送
「ラジオ深夜便 北の文学・作家三浦綾子さんを語る」より
ゲスト:高野斗志美さん
~前編からの続きです
(それでも明日は来るの朗読を聞きながら)
司会:
高野さん、引き続きよろしくお願いいたします。
高野:
お願いいたします。
司会:
この1時台は三浦綾子さんが1989年、ちょうど10年前に出された「それでも明日はくる」というエッセイをご自身で朗読されたテープを聞きながら三浦さんを偲んでいきたいと思います。ではまず、巻頭の三浦さんのメッセージからお聞きください。
こんにちは。三浦綾子でございます。「それでも明日はくる」という私の随筆の本のこの題はみなさんが喜んでくださいました。健康な方とか、何事もない日々が無事に過ぎていく方には明日という言葉はそれほど大きなものではないかもしれませんけれども、私などのように十三年間も病気をしたとか癌などという病気にとりつかれて苦しい思いをしたとかあるいはなにかで苦しんでいる方にとって、明日という言葉は本当に希望のある言葉だと思います。しかし、明日は常に希望に満たされているというわけではなく、いつか死ぬ、明日も来るわけですけれども、でも死も決して最後ではないんだということを私は言いたいと思ってこの本を書きました。
とにかく死も決して最後ではない、神の愛によって永遠の愛を与えられる、そこにこそ本当の明日があることを信じて共に生きていこうではありませんか。お元気で。
司会:
高野さん、死も決して最後ではないそうですね。本当の明日があるんだということを三浦さん、おっしゃっていますね。
高野:
そうですね。やはり同時に三浦綾子さんは人間にとっては人生の終わりには死ぬという大切な仕事がある、という風に常日頃からおっしゃっておられましたですね。ですから今日の三浦綾子さんのお話と表裏一体を成して、そこに生きることと死ぬことを見つめた作家の姿がありありと浮かんできますね。
司会:
なるほどね。ちょうどこのテープを吹き込まれた1989年、ちょうど十年前、「それでも明日はくる」のエッセイが出た年なんですが、三浦夫妻の結婚30周年、またその綾子さんの作家生活25周年、たいへん記念すべき年だったのですねぇ。
高野:
そうですね。結婚生活40年をやがて迎えていくわけでそれで夫婦のこの世での生活は終わるのですけれども、そういう晩年に向かって、やはりこの作家が心技体、そういう色々な苦しみを乗り越えながら新しい作品の世界に向かって自分を歩ませていく、ということもありますし、それからやがてこのあとパーキンソン病という難病にかかっていく、そのいわば前夜ということになりますね。
司会:
作品ばかりでなく講演活動も非常に積極的にされていた方ですが、この年あたりからその講演を控えられると、
高野:
そうですね、三浦文学ということを大きく考えた場合には、小説、エッセイの他に、三浦綾子さんの場合は講演活動というのがひとつの大きな分野を占めているわけです。その講演は非常に大きな影響を聴衆に与えていったわけですけれども、それが少しお体がだんだんと不自由になって、やがてできなくなっていく、というのはたいへんつらいことであったろうと思いますね。
司会:
その意味でのこうしたテープを通して、多くの方々にメッセージを送りたいという気持ちがあったのかもしれませんねぇ。
高野:
そうですね、やはりそうだと思います。たくさんの人に、心を造り替えていって欲しいという願いを込めたメッセージをこういう形で送り届けたかったんだろうと思いますね。
(冬の塩狩峠)
司会:
さあそれでは三浦綾子さんの朗読「それでも明日はくる」の中の冬の塩狩峠の一部をお聞きいただきたいと思います。
塩狩峠は旭川から最果ての稚内に向かって北方三十余キロの地点にある。この塩狩峠は手塩の国と石狩の国の境にあるのでその名がついた。
旭川は寒い土地だ。わたしたちの小学校の頃の地理の本には日本一寒いところだと出ていたものだ。が、それは測候所が少なかったからで実はもっと寒いところが北海道にはいくらもある。この塩狩峠もその寒いところのひとつだ。この峠を越えると旭川とは十度も違うと言われるほどに厳しい冬がそこにある。
なぜ私が井戸という小説に塩狩峠を出したか、それにはいくつかの理由がある。十八歳の冬、私は女学校時代の恩師を訪ねて名寄に行った。寒い日だった。汽車の窓が厚い氷紋で覆われ、外は少しも見えなかった。客車の中には小さなダルマストーブがあるだけで、オーバーを着ていても、寒さが身に沁みた。どのあたりを走っているのかと、私は窓にぺたりと掌をつけて、五ミリはある厚い氷紋を融かそうとした。が、掌が痛いほどに冷たくなって、私はすぎに手をひっこめた。そして毛糸の手袋をはき、僅かに一センチ程融けかかった部分から、その周囲に向かってごしごしと氷紋を削りはじめた。そしてようやく、僅かにひろがったガラス越しに、私は息をのむような光景を見た。黒ぐろとつづく針葉樹林に、きらめく霧氷を見たのだ。
霧氷は、空気中の湿気が樹木に凍りついて、水晶の林とも、銀の林ともいいたいような様を呈する。旭川育ちの私は、霧氷はいつも見ていたが、その時の汽車の窓から見た霧氷は、未だかつて見たこともないほどに、荘厳なまでにきびしく美しかった。折から朝日がその林を照らし、私は一瞬、童話の国に誘い込まれたような、錯覚を覚えた。あまりの美しさに、私は飽かずに眺めていたが、その時汽車は喘ぎ喘ぎ峠をのぼっていた。そして程なく汽車は塩狩駅に着いた。そこには深々と真っ白な雪が積もっていた。駅舎の軒につらなる氷柱は、ガラス細工のように細く鋭かった。寒さが過ぎると、氷柱はかえって太くならない。太い氷柱ができるほどには、屋根の雪が融けないからだ。
その白い深雪の中の道を、角巻を着た女と、二重廻しを着た男が、小走りに走って来るのが見えた。真っ白な雪の中に、赤い角巻が印象的であった。走る女の下駄が、雪を軋ませた。澱粉の上を歩くような、きしきしと軋む、厳寒の雪道特有の音が、車中の私の耳に聞こえた。
雪を真紅に染めて
この若い日の、塩狩峠の霧氷と雪は、私の心の中に、白いひとつの風景として刻み込まれた。それが小説「井戸」に甦ったのである。ちょう
三浦綾子入門 番外編.三浦綾子さん関連番組その1前編
番外編.三浦綾子さん関連番組その1前編
ここでは三浦綾子さんに関連するテレビ番組あるいはラジオ番組などに関する情報を提供していきます。
まずその1として、1999年12月25日にNHK(ラジオ)で放送された「ラジオ深夜便『北の文学・作家三浦綾子さんを語る』」の放送を書き起こしてみました。二時間番組でしたが、まずは前半一時間分を「前編」としてお送りします。
この放送のゲストとして三浦綾子さんを語っているのは三浦綾子記念文学館の館長でもある文芸評論家の高野斗志美さんです。(三浦さんの本の後についている解説などたくさん書かれているので名前を見かけたことある人は多いと思います。)
1999年12月25日(24日深夜)放送
「ラジオ深夜便 北の文学・作家三浦綾子さんを語る」より
ゲスト:高野斗志美さん
司会:
今年10月12日に亡くなられた旭川市出身の作家・三浦綾子さんの人となりと作品、それを産んだ北海道の風土などについてお話ししていただきます。
スタジオには文芸評論家で三浦綾子記念文学館館長の高野としみさんにお越しいただきました。
高野さんよろしくお願いします。
高野:
よろしくお願いいたしします。
(三浦綾子記念文学館について)
司会:
高野さんが館長を務めていらっしゃいます三浦綾子記念文学館、去年の6月にオープンしたんですねぇ
高野:
そうですね、去年の6月13日に旭川にあります神楽の外国樹種見本林の中にできました。
これは全国から一万五千人を超える市民の方たちが力を合わせまして、旭川を中心にしまして、そういう市民運動の力を結集してできあがった民立、民営の文学館でございまして、三浦綾子さんの仕事を末永くお伝えしたいということでできあがりました。
司会:
あの、いまお話にありました見本林というのは「氷点」の舞台になったところですね
高野:
そうですね、特に氷点のラストシーンにあります陽子が自殺を図った、美瑛川を後ろに控えました大変に印象深い風景をもった土地ですね。
司会:
この場所にそういう記念文学館ができましたことは三浦綾子さんご自身も大変喜ばれたでしょうね。
高野:
ええそうですね。そしてどうかもう一度みなさんがこの文学館に足を運んでくれるように、そういうふうにもう一度来てみたい、そう思うような文学館にして欲しいと、切に願うとおっしゃっておられましたね。
司会:
その去年の6月のオープンの際はご自身も参加されたんですね
高野:
そうですね。光世さんに支えられですね、お亡くなりになられましたけども秘書の八柳洋子さんという方がおられるのですけれども、その(二人に)両側を支えられまして、元気にとってもうれしそうにオープニングセレモニーに出られたことをありありと思い出します。
(三浦綾子さんの足跡~作家になる以前)
司会:
あぁそうですか。長い闘病生活のすえに今年の10月12日に77歳の生涯を閉じられた三浦綾子さんですが、その三浦さんの足跡をたどっていきたいと思います。
まず作家になる前の三浦さんのお話からうかがいたいと思います。
高野:
あの~、三浦さんの場合は、お話しするときはいつも私、言うんですけれども四つの自伝小説があるんですね。
小さな頃を書いたのが「草のうた」という自伝小説です。それから小学校を終えてですね女学校を出てそして学校の先生になってそして敗戦を迎えるというその足取りを描いたものが「石ころのうた」という自伝小説ですね。それから1945年から氷点という小説で文学界にデビューするまでの足取りを書いたものが「道ありき」という自伝小説ですね。氷点で出発した以後の、結婚生活を描いたのが「この土に器をも」という自伝小説ですね。
それをもとにしてご紹介をしたいと思うんですけれども。
司会:
はい
高野:
三浦綾子さんにとって大きなターニングポイントというのはひとつには1945年8月15日の日本の敗戦ということですね。
これはあの、三浦綾子さん、堀田綾子さんと当時は呼ばれていましたが、学校の先生、教師をしておりましてその教師の間というのはいわゆる戦争中でしたのでたいへん一生懸命に、熱心に子供を教えていく非常に教育熱心な先生だったわけですね。子供が大好きだったという、そういう先生です。そしてあのその考え方というのは当時の日本人がすべてそうであったように、国家の行う戦争というのは正しくて清い戦争だという、つまり聖戦であると信じ込んでいたわけですね。(他の)日本人と同じように堀田綾子先生も日本の国柄、天皇を中心とする絶対主義、軍国主義をですね、そういう国のありかたに疑いを持たないで一生懸命に子供たちを教えてきたわけですね。
そういう価値観が全部壊れてしまうのが1945年の敗戦というわけだったのです。その時に受けたショックというのが非常に大きいわけですね。そのために今までの自分の生活やあり方に根本的な疑問を持つわけです。
そしてこれ以上先生を続けることはできない、とそう思って1946年、昭和21年3月をもって学校の先生を辞める、これは旭川の小学校でしたけれども、やめるわけです。 その後の堀田綾子さんの足取りは非常に荒れたものになるわけです。
司会:
ほう
高野:
自分が信じた国家権力に裏切られたと、この絶望感というのは取り返しがつかない、どんな力によっても癒えることはできない。そういう自分というのが信じられないと大変に苦しむわけです。毎日毎日荒れはてた生活を続けていく。その間に結核という病気にかかり、そして療養生活に入るわけです。
その前に現れたのが幼なじみの前川正という人なんです。 この人が非常にそういう失意と絶望と荒れ果てた生活を送っている堀田綾子さんを心配するわけです、小さな頃から知っていましたから。 この方もやっぱり結核でもって札幌にいたんですけれども北海道大学医学部を休学して旭川に療養のために帰ってきていたわけです。
で、たまたまそういうことで二人は出会うわけです。そして病気の体をお互いに持ちながら交渉が始まるわけですが、今言ったように非常に堀田綾子さんのことを心配する、そして有名な話があるんですけれども、これは「道ありき」ですね、旭川に春光台というところがあるんですけれども、その丘のところを二人で歩いていたときに、やはり堀田綾子がですねまじめな態度をとらないと
三浦綾子入門 6.文学館へ行こう!
6.文学館へ行こう!
1998年6月13日に開館した”三浦綾子記念文学館”。三浦綾子ファンにとっては聖地ともいうべき場所。その文学館は三浦綾子さんが一生を過ごした旭川の地にあります。
このコーナーでは、”三浦綾子記念文学館”(以下、文学館と略す)について特集します。
場所
文学館は旭川市神楽の外国樹種見本林の中にあります。見本林といえば、小説”氷点”の舞台となった場所です。この見本林を抜けると小説の中で陽子が自殺を図った美瑛川のほとりに出ます。
アクセス
JR旭川駅から車で10分程度(タクシーで800円~1000円)
旭川中心部より10分程度 神楽農協駅前下車
※駅から歩いても40~50分ぐらいで着くと思います(経験談)。雪がない頃なら自転車も気持ちよさそう。
文学館手前に文学碑
没後一周年にあたり、三浦綾子文学碑を建立。除幕式は2000年10月12日(綾子さんの命日)に行われた。この除幕式に関してはコッコさんのソンシアの家にて詳しく報告されているのでご参考に。「文学碑除幕式に参加して」
<ひかりと愛といのち>をテーマに
館内はテーマごとに五つの常設展示室に分かれ、三浦綾子さんの著作、原稿(コピー)やビデオなどが見ることができる視聴覚室の他、喫茶室もありゆっくりとできる空間です。その他、入り口入ってすぐのミュージアムショップでは関連グッズを購入することができます。
個人的にはBGMがとても素敵だと感じました。そんなに広い建物ではないのですが、なんか遠くの方から聞こえてくる感じがとても心地よい音に聞こえました。
第一展示室 <三浦文学のすべて>
”すべて”と題しただけあり、三浦綾子さんの著作が年表と合わせてずらりと並んでいます。翻訳本の多さに驚くかと思います。これだけ海外で翻訳されている日本の作家はそうそうはいないのではと思うほどです。
第二展示室 <作家への道のり>
ここでは三浦綾子さん誕生から氷点で世に出る前までの期間がまとめられています。教師生活の模様や前川正さんとの出会いなど。
個人的に目が止まったのは学生時代の作文です。学生時代にしてこの文章力!と本当に驚きました。内容は幕末の大老井伊直弼に関するもので皇国思想が強く感じられ時代を感じさせてしまいますが、これが本当に作文かという印象を受けました。
第三展示室 <『氷点の世界』>
出世作となった「氷点」に関してまとめられた部屋です。各種の原稿(下書き、応募用、新聞連載用)があり、必見の一室です。また、綾子さん著作の中で一番多くテレビドラマ化、映画化されたのは氷点であり、なんと七度も映像化されているのです。その歴代の陽子役、夏枝役の女優さんの名が並んでいたり、また氷点の各登場人物ごとの年表らしきものがあったりいろいろと楽しめます(この年表らしきものはハートのしみでも作成してみたいと思っています)。
第四展示室 <ゆたかな作品群>
塩狩峠、母、銃口などの小説を書く上での取材活動の一端を知ることができます。何冊もある分厚い取材ノートを見ると、これだけ綿密に準備してから書いていたのかぁと素直に感動しました。
第五展示室 <共に歩んで>
三浦文学においては欠かせない存在の夫・光世さん。光世さんとの共同作業のいったんを知ることができる一室です。
ここではなんと言っても書斎の写真が一番印象的でした。近藤多美子さん撮影の写真とのことですが、一瞬目がくらくらする感じの写真ですが、本当に綾子さん、光世さんのいる書斎におじゃましているような感覚になる不思議な一枚です。
視聴覚室
三浦綾子さんの著作が多数置かれている他、講演会やラジオ放送を録音したカセットテープや映画、ドラマなどのビデオテープが置いてあり自由に閲覧することができます。
その他、点字の作品や氷点などの原稿のコピーなどもあります。原稿のコピーは直に手にとって読むことができるので、時間があれば出版物と較べて読んでみるのもいいかもしれません。
見本林
文学館へ行ったら、見本林を散歩されることをお薦めします。さすがに雪深い季節は歩ける範囲が限られますが、雪がない季節ならば堤防を越えて美瑛川まで出てみてもいいでしょう。この見本林にはストローブマツ、ヨーロッパアカマツ、ヨーロッパカラマツ、ヨーロッパトウヒなど約50種あまりもの樹木が植えられており、雰囲気もいい感じです。
また、私は見かけることができませんでしたが、キタキツネの4匹家族の他、リスもいるということです。
賛助会員
三浦綾子記念文学館は全国の三浦ファンの募金によりつくられ、ボランティア団体の「おだまき会」による協力といった市民の手により運営されていく文学館です。
そして、運営に要する費用は賛助会員による賛助会費によりまかなわれています。賛助会員は常時受け付けているようです。参考までに年会費、会員特典も記しておきます。
年会費
(個人会員)一口 二千円 一口以上
(法人会員)一口 二万円 一口以上
(団体会員)一口 五万円 一口以上
※口数の制限はありません。
会員特典
・文学館の入館料無料
・三浦綾子記念文学館 館報「みほんりん」の送付
・ 各種イベントの案内
会費納入方法については郵便振込と銀行振込がありますが、詳細は文学館事務局(電話番号0166-69-2626)にお問い合わせください。
三浦綾子記念文学館
財団法人三浦綾子記念文化財団
〒070-8007 旭川市神楽見本林
TEL 0166-69-2626 FAX 0166-69-2611
URL http://www.hyouten.com/
2001-09-08 Add
2010-01-10 Update
三浦綾子入門 5.マルチメディアで楽しむ三浦綾子の世界
5.マルチメディアで楽しむ三浦綾子の世界
ここでは三浦綾子さんの世界を映像(ドラマや映画などのビデオ)や音声(ラジオ、テープ)で楽しめるものを紹介したいと思います。もちろんここに挙がっているのが全てではありません。他にもたくさんあるようですが、私が見たこと、聞いたことあるものを中心にしてここでは紹介していきます。
映画編
映画化されたのは4作品、テレビでドラマ化されたのは27作品にもなります。また、その他テレビ等での特集番組などを加えると相当な数になるでしょう。ここではビデオ化されているものを中心に紹介します。
「氷点」 1966/03/26~ 大映映画
出演:陽子(安田道代(現・大楠道代)) / 夏枝(若尾文子) / 啓造(船越英二) / 徹(山本圭) / 辰子(森光子) / 北原(津川雅彦) / 村井(成田三樹夫)
映画「氷点」(DVD)を購入されたい方はこちら。
映画「氷点」評:悪くはないが、コンパクトにまとまりすぎの感がなくもない。原作を読んでから見た方がよい。
映画 「塩狩峠」
監督 中村登
脚本 楠田芳子
出演:中野誠也、新克利、永井智雄、近藤洋介、佐藤オリエ、長谷川哲夫、滝田裕介、岩崎加根子
ライフ企画(いのちのことば社)より3800円にてビデオが発売されている。
映画「塩狩峠」評:クライマックス直前の場面から始まり、それから過去に話が飛び、徐々に盛り上がっていく感じはとてもよい。ただ原作以上に宗教くさい気がした。
映画 「海嶺」
制作:長島清・中條宏行
脚本:貞永方久・緒川浩一
松竹、ワールド・ワイド映画提携作品
出演:西郷輝彦、竹下景子、井上純一、あおい輝彦、ジョニー・キャッシュ、火野正平、松本秀人、東野栄治郎、米倉斉加年、田村高廣
映画「海嶺」評:”国っていったいなんなんやぁ~”という台詞が妙に頭に残る。漂流中の場面はかなり省略されている。
ライフ企画(いのちのことば社)より3800円にてビデオが発売されている。
テレビ編
連続ドラマ 「氷点」 1966/01/30~04/24放送 NET-HBC
イチ押し!
陽子(内藤洋子) / 夏枝(新珠三千代) / 啓造(芦田伸介) / 徹(岸田森) / 辰子(市原悦子) / 北原(井上紀明)村井(田村高広) / 松崎(中真千子) / 高木(北村和夫)
ドラマ「氷点」評:ドラマ化、映画化された中で一番秀逸な作品。ものすごく感じが出ていて雰囲気バッチリ。私の中の氷点のイメージとぴったりきた作品。
ドラマ「氷点」全6巻セット(品薄かも。。。)
ドラマ「氷点」 1989/04/06、07放送 テレビ朝日、HTB
脚本 井沢満
演出:大野木直之
テーマ曲 玉置浩二 「氷点」作詞:並河祥太 作曲:玉置浩二 編曲:星勝
音楽:福井崚
出演:辻口陽子 万里洋子 / 辻口夏枝 いしだあゆみ / 辻口啓造 津川雅彦 / 辻口徹 野村宏伸
/ 村井靖夫 世良公則 / 高木雄一郎 上條恒彦 / 松崎由香 高橋ひとみ / 藤尾辰子 泉ピン子
ドラマ「銃口」 NHK-BS
脚本 ・・・ 布勢博一
演出 ・・・ 高橋一郎
出演 : 北森竜太 (畠中 洋) / 中原芳子(有森也実) / 坂部久哉 (永島敏行 ) / 森政太郎 (杉浦直樹) / 沖島先生(香川照之) / 沢本校長 (すまけい)
旭川の三浦綾子記念文学館の視聴覚室にテレビ放映を収録したビデオテープがあった。(未見)
知ってるつもり「生きる勇気を詠った作家三浦綾子」2000/04/30放送 日本テレビ
知ってるつもりで三浦綾子さんの特集があった。貴重な写真やビデオなどを織り交ぜながら綾子さんの一生を紹介。主な話は下記の通り。
・誕生から幼少時代の話
・教師時代の話
・敗戦、そして闘病時代。前川正さんとの出会い
・夫・三浦光世さんとの出会い
・三浦商店時代の話
・小説「氷点」の執筆、懸賞当選。
・氷点読者の少女が自殺した話。
・数々の病気との闘い
・星野富弘さんとの出会い
コメンテーターとして高野斗志美さん(三浦綾子記念文学館館長、文芸評論家)や大空真弓さん(三浦綾子原作のドラマ「羽音」や「積木の箱」に出演。三浦夫妻とも親しい)も出演。
舞台編
・「母」
前進座による舞台化。残念ながらすでに公演は終了している。
ビデオ編(講演会など)
・むなしさの果てに
ライフ企画(いのちのことば社)より3800円にてビデオが発売されている。
・三浦綾子夫妻講演 - 愛すること信じること
1987年5月23日青山学院大学講堂における講演会の模様が収録されている。
ライフ企画(いのちのことば社)より3800円にてビデオが発売されている。
・祈りと執筆の日々
ライフ企画(いのちのことば社)より3800円にてビデオが発売されている。
・特選 三浦綾子の家庭論
1971年から72年にかけてHBCにてテレビ放映されていた幻のテレビエッセイを収録。全17話。
交通事故に思う
母が母であると感ずるとき
夫婦のラブレター
ほほえみ
愛の小箱
二人でわかちあいましょう
家族をほめよう
おいしい味の秘密
道ありき
右の手のなすことを左の手に知らすな
あなた方は世の光である
ふみ出す一歩が道をつくる
人にあげる何物もない人はこの世にいない
愛は取引ではない
舌を制するものは全身を制する
欲がはらんで罪を生む
風を警戒するものは種をまかない
北海道放送(HBC)より2400円にてビデオが発売されている。
写真編
・三浦綾子-文学アルバム
旭川や三浦綾子さんゆかりの北海道各地の写真のほか、写真でつづる半生や、評伝・三浦綾子がみどころ。
・写真集 遙かなる三浦綾子(撮影 近藤多美子)
とにかく三浦綾子さんがいっぱい。
・祈りの風景(写真 児島昭雄)
児島昭雄さん撮影の風景写真と三浦綾子さんのメッセージがセットになった一冊。三浦綾子さんの言葉を読みながらきれいな写真を眺め、そのイメージを膨らませ、いろいろと考えると楽しい。
・綾子・大雪に抱かれて
小説などの作品の背景となった地の風景写真が多数ある。小説の場面を想像しながら見ると楽しい。
・三浦綾子 愛の歌集 いとしい時間
歌集だが、ふんだんに写真が掲載されているのでここに含めてみた。風景写真とともに三浦綾子さんの若かりし頃、教師時代から新婚時代を中心にモノクロな写真が多数ある。
ラジオ編(カセットテープ含む)
・ラジオ深夜便(1999年12月25日放送) 北の文学・作家三浦綾子さんを語る
1999年12月25日NHKラジオで放送された三浦綾子さん追悼番組は当サイトの三浦綾子入門の番外編にて詳細にレポートしていますのでご参考に。
・ラジオ深夜便(NHKカセット) カセット文庫4 1400円(税抜き)
A面 : 三浦綾子 わたしの道
(初回放送 昭和58年7月3日 教育テレビ「こころの時代」)
教師として迎えた敗戦のショック。
虚無と病の中に訪れた、運命的な出会いが、キリスト者としての道をきめることになった・・・。 聞き手:金光寿郎
B面 : 三浦綾子/三浦光世 神に愛されて
(初回放送 平成6年12月24日 ラジオ深夜便「こころの時代」)
数々の重い病にもかかわらず、深い安らぎの日々、という。そのつよい心を支える信仰とは・・・。共に生きる夫妻が語る 聞き手:金光寿郎
2006-07-24 Update
三浦綾子入門 4.はまションのお薦めはこれ!
4.はまションのお薦めはこれ!
3.代表作では一般的に三浦綾子さんの代表作と呼ばれるものという観点を重視して選択してみました。
この4.では、まったく個人的な趣味・好みから何作か紹介したいと思います。もちろん代表作と重なるものもあるのですが、ここではあえて3.代表作と重複するものは省き、それ以外の作品を紹介します。
三浦綾子さんの考え方や主張したかったことを理解するには、私は小説よりもエッセイの方が適していると思います。それは、小説の場合、ストーリーの展開上いろいろな枝葉がつきます。これは余計なものというわけではなく、味わい深い作品にするためには必要不可欠なものです。しかし、エッセイではそういった枝葉がそぎ落とされ、三浦さんの主張がぎっしりと凝縮されたものになっている印象を私は持っています。
そして、一生の宝となる言葉がたくさんきらめいています。もちろん小説にないわけではありませんが、エッセイの場合、テーマがはっきりしているため、その意味するところが分かりやすいといえます。
わかりやすいと言えば、三浦さんのエッセイはとても分かりやすく、まるで三浦さんが自分に語りかけているような気にさせます。これは三浦さんの創作形態が口述筆記だったということにも由来するのかもしれません。
とてもわかりやすいのですが、その一編一編をゆっくりと読むのが好きです。
みなさんもたまにはのんびりとした気持ちで本を読んでみてはいかがでしょうか。
それでは私のお薦め作品を紹介します。
明日のあなたへ 愛するとは許すこと
私の中で一番好きなエッセイがこの一冊です。毎年一回は読むので、5,6回は繰り返しよんでいるのではないでしょうか。
この「明日のあなたへ」を最初に読んだとき、冒頭の言葉でガツンとやられた気がしました。
九つまで満ち足りていて、十のうち一つだけしか不満がないときでさえ、人間はまずその不満を真っ先に口から出し、文句を言いつづけるものなのだ。自分を顧みてつくづくそう思う。なぜわたしたちは不満を後まわしにし、感謝すべきことを先に言わないのだろう。
この一文を目にしてからこの一冊を手放せなくなりました。ちょっと心が後ろ向きになったとき、この本を手に取ると気がとても楽になり、前向きになれるのです。そして、肩の力が抜け、すっと普通に正面を向いて歩いて行けるのです。文庫本の帯に「どんな時にも未来はある」というのを本当に信じられる気にさせる一冊です。
太陽はいつも雲の上に 私たちを支えた言葉
この一冊は、夫・三浦光世さんとの共著ですが、三浦夫妻が名言、格言、諺などを紹介し、その言葉にまつわる話、想いを綴った一冊です。
とても有名な言葉の他、まったく聞いたこともない言葉もありますが、ほう、こういう考え方もあるのかと感心しきりで読んだ一冊です。この本でたくさんの言葉が紹介されていますが、その中でも特に私のお気に入りの言葉のいくつかをここで紹介します。
傷痍なき人生は恥
感動できない人生は常に荒野である
希望は失望に終わらない
雲の上にいつも太陽は輝いている
これらの意味するところは、是非、自ら本を手にとって味わってください。
イエス・キリストの生涯
これは他の作品と比較すると異質なものかもしれません。内容が異質というわけではなく、ビジュアル面で。というのもカラーの挿し絵が半分近くを占めているからです。
いわゆる宗教画を紹介しながら、イエス・キリストの生涯を綴っていく一冊なのですが、とてもわかりやすく書いてあるので美術館へ行く前にこの一冊で勉強しておくと絵画の楽しみが増えるのではないでしょうか。
この一冊は三浦さんのエッセイも楽しめるだけでなく、絵画も楽しめる一冊です。
2000/02/21Update
三浦綾子入門 3.三浦綾子の代表作
3.三浦綾子の代表作
三浦綾子さんは80作以上の作品を世に送り出していますが、その中から代表作と思われる5作品を簡単に紹介していきます。
三浦綾子さんの作品を読んだことがない方は、まず、以下の5作品のどれかから読み始めるとよろしいのではないでしょうか。
氷点 塩狩峠 道ありき ひつじが丘 泥流地帯
代表作の紹介
・氷点
「自分の娘を殺した殺人犯の娘を育てる」というショッキングな設定な小説です。この小説のテーマになっているのは「原罪」。原罪の意味を広辞苑で調べると、「アダムが神命に背いて犯した人類最初の罪。人間はアダムの子孫として生まれながらに原罪を負うものと考えられる。宿罪。」とあります。どんなに誠実に生きている人、正義の人であっても、人間は罪を犯さずには生きられないということを訴えた作品。
設定が設定だけに現実のこととは思いがたいかもしれませんが、登場人物たちの想いと同じような想いが自分の心の中に生じるかもしれないし、登場人物たちの行為と同じような行為を自分もしかねないんだと、自分にも起きかねない、いや、起きるのだという気持ちで読まれるとよいのではないでしょうか。
・塩狩峠
自らの命を賭して、大勢の人の命を救ったという実話に基づく小説です。なんといってもクライマックスは小説最後の方の鉄道事故の場面。そのクライマックスへ向けどんどん引きつけられ、そのクライマックスは涙なしでは読めないのではないでしょうか。
感涙することの多い三浦作品の中でもその1,2を争うのではないかと思います。一度も三浦作品を読んだことがない人は最初にこの「塩狩峠」を読むのが入りやすいのではないかと思います。かくいう私も最初に読んだのはこの塩狩峠です。
・道ありき
三浦綾子さんの青春の日々を綴った自伝です。三浦綾子さんは13年にも及ぶ入院生活を送った経験があるのですが、その大変な日々を過ごしていた頃の自伝です。
この道ありきは「前川正」さんの存在抜きには語れません。三浦綾子さん自身にとっても前川正さん抜きには三浦綾子さんの人生はなかったのではないでしょうか。こんな人がいるのかと俄には信じがたいような前川正さんですが、前川さんを知る人にすると、現実の前川さんはもっとすごかったそうです。どんなにすごいのかは読んでのお楽しみ。
きっと勇気を与えられることでしょう。
・ひつじが丘
愛するってどういうことなんだろう、とたまには真面目に考えてみませんか。そのような時にお薦めなのがこの作品です。
この作品の中で三浦さんは登場人物に「愛するとは、ゆるすことでもあるんだよ」、「愛するとはね、相手を生かすことですよ」と語らせます。これがこの作品の中で三浦さんが言いたかったことでもあり、三浦さん自身の言葉でもあるのでしょう。
「自分に忠実に生きる」という言葉があり、割とそのような生き方がもてはやされたりしますが、自分に忠実とはどういうことなのでしょうか。自分の気持ちに忠実に生きることだけが忠実といえるのでしょうか。人には気持ちがある以上、それを無視した生き方はギスギスしたものになってしまいますが、気持ちだけでなく、自分の意志や理性というものをもっと尊重した生き方はできないのか、と。このようなことも考えさせられる作品です。
・泥流地帯
十勝岳の大噴火のときの話をベースにした小説です。主人公たちに次から次へと災難がふりかかります。しかし、そんな災難をも自分にとっては試練なのだと思える強さが主人公にはあります。
真面目に生きるって損な生き方だなぁなんて思えてしまうときや、どうも考え方が後ろ向きになってしまいがちなときに読むと必ずや力を与えてくれる作品だと思います。
身震いするような感動があります。
<おまけ はまションと三浦作品の出会いコース>
人それぞれ気になった作品から手をとっていけばいいかと思いますが、私が三浦作品と出会ったのはおおよそ次のような順番でした。(途中、ここには未掲載の作品が入りますが、ここでは省略)
塩狩峠 → ひつじが丘 → 道ありき → 氷点 → 泥流地帯
<データ編>
・販売部数上位作品
氷点 338万部
塩狩峠 296万部
続氷点 284万部
天北原野 157万部
積木の箱 151万部
道ありき 147万部
細川ガラシャ夫人 124万部
ひつじが丘 110万部
※データは三浦綾子記念文学館調べ。(「三浦綾子に出会う本」より)
<三浦ファンのお気に入り上位作品>
塩狩峠
氷点、続氷点
道ありき
泥流地帯、続・泥流地帯
ひつじが丘
天北原野
銃口
母
細川ガラシャ夫人
ちいろば先生物語
※データは「三浦綾子愛読者ページ」のお気に入りコーナーへの投票数から(2000/02/13時点)。
2000/02/13Update
三浦綾子入門 2.三浦作品のどこがいいの?
2.三浦作品のどこがいいの?
1.三浦綾子って誰?では三浦綾子さん本人の簡単な紹介をしましたが、ここでは作家としての三浦綾子が世に送りだした作品のどういうところが特徴なのかをはまションの独断と偏見に基づき、紹介していきます。あまり深い意味はありませんので軽く読んでいただけると幸いです。
★テーマ
三浦作品のテーマは「人はいかに生きるべきか」(言い方換えると「生きるということはどういうことなのか」)じゃないのかなと、私は漠然とながら思っています。
そういう意味で三浦作品は「人生の教科書的存在」になりうるものだと思います。
☆効能
効能というタイトルはちょっと大げさですが、三浦作品を読むと「こういう気持ちになるよ」というものをいくつか紹介します。
-心が洗われる
三浦作品はとても感動的な作品が多く、何度か読み返してもまた違った感銘を受けることがあります。
多忙な日々を送る人にとって三浦作品は一種の清涼剤というところでしょうか。「心が洗われる」と思うのは私だけでなく、けっこう多くの方が思うようです。
でも心が洗われるというのは言い過ぎかもしれませんね、「心が洗われるような気がする」というほうが適切かもしれません。そうなんです、決して間違えてはいけないのは本を読んだだけでどうこうなるわけじゃなく、それを実践して初めて「心が洗われた」ことになるんだと思います。そうか、実践してないから心が洗われたような感じがするレベルで止まっていたのか、私は。とこれ書きながら思いました。
-優しい気持ちになる
三浦作品はとても心あたたまる話にあふれています。特にこれはエッセイなどを読んでもらえるとよく分かると思います。自分が上の立場に立った優しさじゃなく相手と同じ視点に立った優しさというものを強く感じます。
-前向きに物事を考えられるようになる
三浦作品の中ではとても辛い境遇におかれている人が多数紹介されています。でもその人たちは決してつぶれていません。とても前向きなんです。そういう人たちを見ると自分の置かれた環境なんてたいしたことないとホントに思います。
「どうしてこうなっちまったんだ」ではなく、「これからどうやっていこうか」という気持ちにさせてくれます。気持ちの持ちようで前に進むこともできれば後ろにずるずる下がることにもなるんだなと実感しています。
ちなみに私の好きな言葉のひとつに「希望は失望に終わらない」という言葉があります。三浦作品で何度も登場する言葉ですが、これを合い言葉にしてると頑張れちゃいます、色々と。
-謙虚な気持ちになる
上の「前向きに物事を考えられるようになる」というのがどちらかというとあまり物事がうまくいっていない時に思える気持ちですが、こちらの「謙虚な気持ちになる」というのは、特に自分では調子がいいと思っているときに一番効能を発揮するものかと思います。
調子がいい時ってどうしても人間、増長しがちですが、こういう気持ちをバシッと切ってくれるのが三浦作品だと思います。自戒の意味を込めて読むのもいいのではないでしょうか。
(番外編)泣ける・感動できる
ちょっと上では人生の教科書的存在だなどと堅いことをいいましたが、三浦作品の効能としてこの「泣ける・感動できる」も欠かせないひとつかと思います。
映画とかビデオ見るときでも「今日は泣くぞ」みたいに思いながら見るときもあるでしょうし、辛いときに泣いてスッキリしたいという方もいることでしょう。また平凡な日々に飽き、何か感動を求めている時もあるでしょう。そういう時に三浦作品はなかなかの効能を発揮します。
ハッキリいって単純に泣けます。感動できます。
人生の教科書的存在であるとともに人を泣かしたり、感動させることができる三浦作品はれっきとしたエンターテイメントじゃないでしょうか。
このページの最初でも言いましたが、あんまり深い意味でここで述べたことをとらえず、まずは自分の目で三浦作品にふれてもらうのが一番だと思います。まずは読んでもらうの一番ですので、次の3では三浦作品の代表作を簡単に紹介したいと思います。
また、三浦作品を読んで感じたことは掲示板にでも書いてもらえるとありがたいです。感動を共有できたらいいなと思っています。
▽おまけ
あんまりいいことだけ書いてもあれなんで、ちょっと思っていることをチョロッと。
特に小説系でいえることですが、たまにストーリー展開に無理があるんじゃないのと思うことあります。おいおい、そりゃ無茶でしょという展開がなきにしもあらずです。でも個人的にはその辺はあまり気にならないたちなので問題はないのですが。それ以上の感動もらえるのでOKだといえます。
ちょっとクサイ。これも人それぞれの感じ方により違いますが、私はクサイ言葉、文章で読む分には割と好きなので構わないのですが、三浦作品の中にはクサイ言葉がたくさん出てきます。ある人には説教くさいととらえられてしまうかも知れません。たしかに三浦作品を映画やドラマにするとこりゃたまらんぐらいのくささ抜群ですが、文章で読む分にはOKかなと思います。
ある程度説教くさい言葉ももらわないとだらけちゃいますからね。そういう意味で貴重な存在かも。
2000/02/06Update
三浦綾子入門 1.三浦綾子って誰?
1.三浦綾子って誰?
三浦綾子さんを紹介する際にキーワードとなるのは、
旭川、氷点、キリスト教、夫婦、病気
になるのではないでしょうか。
このキーワードにそって以下三浦綾子さんを紹介していきます。
第一のキーワード「旭川」
三浦綾子さんは1922年(大正11年) 北海道旭川生まれ。
一生を旭川で書き続けた作家。
小説の舞台となる土地は北海道、特に旭川が多い。
三浦文学を後世に伝えていくため、旭川に三浦綾子記念文学館が1998年にオープン
第二のキーワード「氷点」
作家として一躍脚光を浴びたのは、昭和39年、朝日新聞社の一千万円懸賞小説に「氷点」が入選したことである。
朝日新聞の連載小説として公開後、いわゆる「氷点ブーム」が到来。
「氷点」は映画化、テレビの連続ドラマ化、舞台化などがされた。
氷点は販売部数300万部を越えるベストセラー、現在もなお読み続けられている。
第三のキーワード「キリスト教」
三浦綾子さんはクリスチャン。
出世作となった「氷点」のテーマがキリスト教でいうところの「原罪」であることからも分かるが、三浦作品の基本的テーマはキリスト教に基づくものである。
自著の『孤独のとなり』(角川書店)で次のように語っている。
わたしは、直接であれ、間接であれ、このキリストの福音を伝えようとして書いているのである。たとえ文学的には、どうであれ、この信仰の土台に立って書いているのである」
ここから分かるように三浦綾子さんはキリスト教を信仰し、キリストの教えを伝えるために書き続けた。
キリスト教に基づく作風ではあるが、その文章はとてもわかりやすく、信者であろうとなかろうと、その作品の持つ感動は共有しうるものである。
(余談)同じクリスチャン作家に曽野綾子さんがいるが、三浦綾子さんとは別人。
第四のキーワード「夫婦」
夫は三浦光世さん。
三浦光世さんとは十三年にも及ぶ入院生活中に出会う。
三浦綾子さんが退院後、二人は結婚する。
三浦綾子さんと光世さんの出会いから結婚に至るまでの経緯は「道ありき」に詳しい。
三浦綾子さんと光世さんは仕事上でも欠かせないパートナーであった。ほとんどの作品が三浦綾子さんが口述し、それを光世さんが筆記するという二人三脚で産まれたものである。
第五のキーワード「病気」
三浦綾子さんは病弱で病気との闘いの一生だった。
肺結核、脊椎カリエスにより十三年にも及ぶ入院生活を経験するほか、帯状疱疹、直腸ガン、パーキンソン病といった大病も経験する。
病気という苦難も「恵み」のひとつである考えることができる、その精神力の強さはすごいというほかない。また、そのような苦難を知った著者から生まれる言葉はとてもあたたかく、優しい言葉に満ちあふれている。
1999年10月12日、77歳の生涯を終える。
<参考HP>
・三浦綾子記念文学館については、
・三浦綾子さんの略歴・著作目録については、
<参考文献>
・三浦綾子に出会う本(フォレスト・ブックス編集部編 いのちのことば社)
・言葉の花束 愛といのちの777章(三浦綾子著 宍戸芳夫編 三浦光世監修 講談社)
2000/02/05Update